みなさまこんにつわ。
本日はみなさまが直面する大きな問題についてお話しようと思います。
今回のブログはまぁなんとも真面目に書いておりまして、とってもつまらない(?)内容になっております。なぜならおふざけが1ミリもございませんの。
では本題へ参ります。
先日こんなツイートをしました。
この界隈あるあるな「いいことしか考えちゃダメ」「嫌な思考は排除」という教え。
基本的にはもちろん間違ってない!のですが、「本質」の部分をしっかり理解してないとこれに苦しめられちゃう気がしていて。(なんか最近’本質’って言葉も一人歩きしてて好きじゃなくなって来た)
「どうして良い事しか考えちゃダメなの?」
「’良い事’とは一体なんなの?」
私も何度かTwitterではお伝えしてるのですが、改めてしっかりブログに残そうと思います。
私は、嫌な思考を「出てこなくする」というのは無理だと思っています。
時と場合によるし、どの視点・目線で話をするかによっても全然違ってくるんですが、それも全て私なりの解説をしますね。
ここを押さえておくと、今後もう色んな発信に振り回されたりしなくなるのかなぁと個人的には思います。。。
そしてあくまでも今からお話しすることは私の見解で、これが「正解」ではないってこと。心に留めておいてね。
ただ、私はこの考え方で納得し落ち着いています。
あとは「あなたが決めるルールがあなたの世界のルールになる」これも忘れずに。。
思考を出てこなくすることはできる?
前回のブログでもお話した「2元論」のお話覚えてますか?
まだの方は是非読んでほしいのですが、
ブログの内容を簡単に要約すると
「私たちの世界は相反する思考が在るからこそ、それぞれが存在できる」ということを私なりに説明してます。
自我にどっぷり浸かってる状態だと
「あーはいはいはいはいわかりますわかります。知ってますだからなんなんですか💢」
ってなるんですけど、ちょっと落ち着いて聞いてくださいね・・笑
これから説明することは、全く共感できなくても、理解できなくても、とりあえず知識として持っておいて欲しいのです。
いつか全てが一つに繋がる時が必ず来るから。
必ずきます。この界隈にいる限りは。。。
でですね、以下ブログからの抜粋です。
分かるでしょうか。
この世界が存在するには、そうで在るものとそうで無いものが在って初めて成立するわけです。
「望むもの」を見るには「望まないもの」が存在しないと「望むもの」というのは存在できないんですね。
彼氏がいる。という状態は、彼氏がいない。という状態とセットなんです。
この2つの「状態」に良い悪いなどなく(創造主の視点から見ると。個の視点から見るとあります。)、全ては「どちらを選ぶかの選択なだけだ」と前回のブログでお伝えしました。
「良い思考」「悪い思考」も同じです。
言葉を変えると「望むもの」「望まないもの」になると思うんですけど、自我のいう「悪い思考」がないと望むもの(良い思考)を得られないわけなんですよね。
実はとっても有難いものなのです。どちらか一方の状態に悩まされてる自我からすると、そんな風には1ミリも思えないけどw
少し話が脱線しますが大切なことなので少し説明!
「選択する」という感覚がなかなか落とせない方もいると思うんですが、これは対願望に限りだったりして、「選択する」という行為を別の言葉で言うと、これはよくメソッドで「決める」と言われてます。
そして「決める」作業というのは普段から皆さん無意識に日常的にやっていることでもあって、服を着る、歯を磨く、9時に家を出る。全て自分の中で「それをする」と決めて行っていますよね。それ全てが「決める」のメソッドとしてやってね!と言われていることなのです。
「9時に家を出る」って決められないって人いないですよね。
願望が叶うって決める。だけなんですけど、願望だけは「決められない」。だってそうじゃない未来もあるじゃん。え?9時に家を出れない未来もありますけど、、っていう、、、
望まない方の未来の方が「可能性が高い」って勝手に思ってる状態ね。
でもそんなこと気にせず「決め」たらいい。
ね、決めるって簡単なのよ。
(詳しくはまた今回のブログの趣旨から脱線しちゃうのでnoteをお読み下さい↓)
「良い思考」と「悪い思考」と自我目線でジャッジしていると「悪い思考」というものは出てこなくて良いもので邪魔に見えるのですが、この世界が存在するのに必要な要素なだけで、「良い思考を選択するだけ」で何も問題はないのです。
比較対象がなくなれば「一つだけ」になってしまいます。一つだけになってしまうと、選択肢がなくなるので創造ができなくなってしまう。
なので、私達は創造を通して存在してるわけなんですよね。「私」すらも「他人」がいないと存在できない。「私」が存在するには、「私」じゃないものが必要だからね。
あ、だめだ、また脱線してしまう・・・・笑
(私は達人が当たり前に説明してることが全く理解できなくて、ブログを読んでいても「そこ」が分からないから先に進めない、みたいなことが多く、、私みたいな人を減らすためにブログを書いてるとどんどん脱線して文章が長くなってしまうんですよね…気を付けます…笑)
まぁとにかく、比較する何かがないと新しく創造する事がなくなってしまうので、そこで映像(現実)は終了してしまうわけです。
まぁ当たり前に、私たちはそんなことをしに来てるわけじゃないので「分離」と言われる自我の世界に夢中になってるわけです。
在るもないも全てを存在させて、そしてその中から好きなものを選んで体験をするということをしに来てる。
自分に標準搭載されている「好き」と「嫌い」のアンテナに従ったり従わなかったりして(嫌いに従わないようにする訓練を今してる感じなんですが)、この、「あなただけの専用世界」の創造を楽しんでるんですね。
なので、結論をいうと
🟠「自我にとって「嫌な思考」と区別される思考は出てくる。それはこの世界を構築するために必須の反応。」
🟠「それを選択しないようにする=理想の創造。」
となるわけです。
達人たちが言っている「良いことだけを考えろ!」っていうのは、「嫌な思考を選択するな!」ということであって、「嫌な思考を2度と出てこなくしろ!」ではないってことなんです。
解釈がとっても難しい部分。これってほんと。
嫌な思考を出てこなくするのは無理。でも時と場合による?
どういうことかというと…
比較対象として、他の選択肢として「望むもの」と「望まないもの」として、自我のいう「良い思考」「悪い思考」は出て来ますが、「悪い思考」を選択する機会を極端に減らせばそういうエビデンスが自分の中で確立されるので、後にそもそも選択肢に上がってこなくなります。
度々私のコーチングやブログやnoteで出てくる「コーラを買う」という話。
「コーラを買いに行く」という思考の後に
「コーラは買えないかもしれない」なんていう思考は出てこない方がほとんどだと思うんです。でも、買う・買えないという選択肢は必ず存在しますよね。
でも思考に上がってこないのは、極めてその可能性が少ないと潜在的に分かっているからなんです。(耳タコだと思いますが)
なので、どんな願望でも「望まない思考」を顕在的にあげなくするということは可能なのかなと思っています。
「嫌な思考を選択するな」ということは、即ち「良い思考を選択する」ということなので、良い思考を選択し続けるとそれが現実化してしっかり「望む映像を見る」という結果が得られ、特定の事項に対して「これは良い結果になる」と確信を得ることができる。
結論、「次第に嫌な思考が出てこなくなる」(心配をする必要がなくなる)ってことでもある。こんな感じですかね。
他の例でいうと、これもよくコーチングなどでお伝えする例なんですが
「ヨナは女性である。」
私は見た目も心も体も女性です。そして読者の皆様もそう認識してくださってると思うんですが(違ったらすみませんw)、実は、、、男性だったんです。と告白をしたとします。
そうすると、読者の皆様は「っえーーー!?!?!?!?!?」と驚き、そこから「ヨナ=男」と認識を修正すると思うんですね。
ここでいう「女」と「男」を、みなさんの「望む思考」「望まない思考」と置き換えて考えてみて欲しいんですが、初めのうちは「あれ?女性だっけ、いや男性だったような・・」と慣れてないが故に混乱して、押し問答が続く方もいるかもしれません。
でも、これを続けて「ヨナ=男性」という認識を定着させようと習慣づければ、段々と慣れていきますよね??
そうすると当たり前に「ヨナは男性」という思考に落ち着いて、次第に悩むことはもうなくなると思うんです。
ここまでくると、もう「女性か?」という選択肢は出てこなくなります。でも、「選択肢」としては「女性」なのか「男性」なのかは存在している。
わかるでしょうか・・・。言語化むずい。
「嫌な思考を出てこなくする=存在させなくすることは出来ない」
それを選択をしなければいいだけ。
選択をするとは、「それは○○である」と「決める」ことでもある。
ちょっと難しい話をしましたが、「決める」と「嫌な思考」との付き合い方。
なんとなく伝わればいいなぁと思います。。。
↓「願望実現」するなら絶対セットで必要な「自己観察」。
要はこれをしっかりやってれば思考から離れられる。
何をするにもこの作業が一番大事だと思ってる。
では、今回は真面目ヨナでした。
ぱいなら。
命、宿したローゼっっっ★
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