【現実無視?現実逃避?】思考は現実化するあるある

認識の変更

ちょっとここで廃人向けに記事をば。
現実無視現実逃避について。

(前回の記事にもちょっと繋がります)

思考は現実化する=自分の思考(内側・内面)が「現実化」するのですが、
現実化するのにタイムラグがあるので叶うまでのその遅延に振り回されてしまう人がたくさんいるんですよね。

まーーーーわたしもそりゃ振り回されましたし、今でも振り回されます。

ちっ!です。

今目の前に広がっている現実って、過去の自分の思考が現実化した結果なわけですよね

てことは、もう目の前に広がっている「現実」と思っている映像は、過去なわけです。

で、頭の中にある思考が今後現実化していくのでそっちが「リアル」になる。

ここの時系列はどっちでもいいんですけどね。映像を今として、脳内を未来でもどっちでも。結局物質空間で意識をもって生きないといけないし。自我的には映像が現在です。ただの概念としての考え方の問題ですね。



思考である頭の中の映像が「今」そして、
時間が経つと目の前にディレイ放送としてそのうち映像が広がり、
その過去映像をみながら、また更に私たちはクリエイションをしていく。
そんなややこしい世界。

ヨナ蔵
ヨナ蔵

遺憾である!ややこしいんじゃ!

ですから、今まで現実と思っていた『過去・幻』である映像との向き合い方がキーになってくるのですが、ここでディレイ放送である映像をみて、「嫌だな」と思った部分に対して同じ反応をしてしまったら?「まだ叶わないんかい。もしかして叶わないんか?」とか疑い始めたら?

それが「今」に反映して、その「今」が映像に反映され、
堂々巡りが起きるわけです。

過去であるその現実に対して「過去なので、もうそれにいちいち反応せずに無視してしまいましょう」というのが現実無視という方法?なのですな。

で、ですね、

土台である理論をしっかり理解していないと
ここがただの「現実逃避」になってしまう人がたくさんいるってのが問題でして。

現実無視とは

「現実を見て、望まない自分・状況を思考したとしても、それを却下し、在りたい自分で在る」こと。

現実逃避とは

「現実を見て、望まない自分で在ることを固定し、それを知らんぷり(無視)する」こと。

「本当はダメなのに」と思っているのに「そ、そんなことないもん」と思おうとしてる状態ですね。
違うんですよ!

「本当はダメなのに」の部分を採用・認定しないんです。

過去なんですよそれはぁ!
両者で圧倒的に違うところは、

現実無視→在りたい自分であることを採用

現実逃避→ダメな自分を採用した上から在りたい自分でいようとしている

ってところです。

現実がどうであれ、「そうなった自分」
に「なる」ことは可能なんですよ。「なった」と決めてしまうだけなのです。

comment

タイトルとURLをコピーしました